初代人類が食品加工技術を発展していた


ヒュー・ロス著 2015年10月5日

ガリラヤ湖畔の住民が早くも23,000年前に野生の穀物を栽培していたことを裏付ける考古学の発見について前の論文に記した。[1] 最後の氷河期(12,000年前から120,000年前)中に急速かつ劇的気候変動が起きたことを考慮に入れると、この農産物の栽培の証拠は、初代の人類が現代人の我々と同程度の発明の才能を持っていたこと、また同程度勤勉であったことを示していると説明した。彼らを引き止めていたのは動機のなさではなく知性の不足でもなかった。気候が不安定だった理由で彼らは妨げられていた。それ以上、ガリラヤ湖畔の住民に係わる発見は、創世記4章が初代人類の技術の功績について語っていることの信頼性を疑問視する者に答えを与えている。今は、別の考古学の発見が、前の発見から1,600km以上離れた場所に見つかり、新しい発見は人類の農産業がさらに時代を遡ることを立証する。イタリア南部にある遺跡発掘現場であるグロッタ・パリアッチの洞窟で5人の人類学者及び考古学者のチームがオート麦(エン麦)粉の加工に使われたすりつぶす道具を掘り出した。[2] すりつぶす道具表面上のでんぷん穀類量的分布を対象にするすり減り痕跡分析が行われ、道具がすりつぶす乳棒として使われたことが確認された。

すりつぶす道具から発見された単一のオート麦粒の調査を行った結果、穀粒がゼラチン化され、膨らんでいた(もしくは部分的に膨らんでいた)ことをチームは観察した。これは「通常、熱による取り扱いの後に起きる物質的化学的変化」[3] を示している。即ち、道具を扱っていた人は穀粒に「熱的処理」を与えた。これはオート麦粒の擦り込みを行う前に何らかの焼き処理を加えたことを意味している。この考古学の発見が特に重要な理由は、研究を行ったチームがすりつぶす道具の正確な炭素14年代測定を得た点だ。道具は洞窟の副層23Aから発掘され、副層23Aの炭素14年代測定は、別な研究チームの測定によると、32,614年±429年前だ。[4] 発見は、急速かつ劇的な気候変動が存在したにも関わらず、32,000年前に生きた人類が麦粉を得るために植物の種を処理していたこと、さらに「すりこみを行う前に植物部分の複雑な処理に当てられた技術を発展させた」ことを確立させる。[5] 麦粉に関するこの記録は複雑な食品加工の最古の証拠であり、食品加工の組織的能力が新石器革命(約12,000年前)より遥か前に行われていたことを立証する。また、発見は聖書の語る初期時代の人類の歴史を実証する。

脚注

1. Ainit Snir et al., “The Origin of Cultivation and Proto-Weeds, Long before Neolithic Farming,” PloS One 10 (July 2015), doi:10.1371/journal.pone.0131422.

2. Marta Mariotti Lippi et al., “Multistep Food Plant Processing at Grotta Paglicci (Southern Italy) around 32,600 Cal B.P.,” Proceedings of the National Academy of Sciences, USA (September 2015), doi:10.1073/pnas.1505213112.

3. 同書、p. 4.

4. 同書、p. 1.

5. 同書.

Updated: 2019 年 07 月 01 日,04:43 午後

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