反復可能な進化か繰り返された創造か?

"Reasons To Believe"(信仰の根拠)が発行した"Facts for Faith" (2000年, Issue 4, pp.13-21)からの翻訳。 Repeatable Evolution or Repeated Creation?-]

松崎英高(箱崎キリスト福音教会牧師)、ティモシー・ボイル(つくばクリスチャンセンター宣教師、物理学学士号、神学博士)共訳

【Author】Fazale (Fuz) R. Rana

【Title】Repeatable Evolution or Repeated Creation?

【Literature】Facts for Faith 2000, Issue 4


 自然を少しでも観察するなら、生物の多くが相互に類似していることに誰でも気付くことでしょう。世界中の異なる地域に生息するカエルやトカゲや他の動植物の多くがほとんど同一の種であるように見えます。このような類似性は、生命史を通じて見られるパターンなのです。最近の生物学的な研究は、この生体の類似性に光を当て、重要なキリスト教弁証論上の示唆を与えてきました。同一の種と思えた多くの種が、実際は遺伝的に異なるためにそれほど近縁ではないのです。このような思いがけない差異を説明するために、進化論に立つ生物学者は、不十分な説明しか提出できないでいるのです。この論文では、聖書的な創造主の存在をますます支持する一方で、進化論的なパラダイムの基盤を次々に崩壊させるような最近の多くの発見の中から、少し取り上げて議論することにします。  進化論によると、同一の形態(形や構造)を持つ生物は共通の祖先を持つことになります。それ故に、進化論的な生物学者は、種を分類するために生体の特徴に従って生物の関連性を研究する形態学的分類学を採用し、類似性のあるグループは共通の祖先を持つと結論付けてきました。しかし、生物学的な関連を決定するために形態学に代わってDNAの塩基配列を使用する分子系統学が出現し、広く応用されることに伴い、進化論的な分類法にとって障害となる事実がますます多くなっていることを科学は確認しつつあるのです。生物学者は、形態学的に(構造的に)一まとめにできる生物群の例を数多く発見してきましたが、それらはなお遺伝的には明白な違いがあるのです。カエルやトカゲ、あるいは草本で外見上は同一に見える生物種において、実際に遺伝的レベルにおいては異なっているのです。このようなデータを進化論的に解釈するなら、形態学的に同一な生物種は互いに独立して、“反復可能な”様式で進化したということにならざるを得ないのです。 進化論的プロセスの偶発性  進化論パラダイムと“反復可能な”進化とを調和させることは不可能なのです。進化論者が環境に理想的に適応したアマガエルを観察する時に、ランダムな遺伝的変異に、環境的・捕食関係的・生存競争的な淘汰圧が長期間にわたって繰り返し作用した自然選択が、このような関係に導いたのだと主張します。根本的なレベルでは、偶然が進化のプロセスを支配しています。それ故に、反復された進化的な出来事は、劇的に異なる結果をもたらすことが期待されるのです。歴史的偶発性という概念はこの考えを統合したものであり、ステファン J. グールドの『ワンダフル・ライフ』のテーマでもあります。 ……フィナーレはそのスタートで特定されることがない。どの(進化の)経路も何千というありそうもない段階を通って進行するので、同じ様式で二回起こることはまったくあり得ないだろう。最初の段階において、その時点で一見重要でない、ほんのわずかな変化が起こると、進化は根本的に異なる経路で進行する[1]。 “生命再生テープ”というグールドの比喩が主張しているのは、もし巻き戻しボタンを押して生命史を消去してテープを再生すると、結果はまったく異なったものになるだろうということです[2]。進化のプロセスの本質そのものが、進化の産物を再生産不可能なもの、あるいは反復不可能なものにしてしまいます。それ故に、“反復可能な”進化は、生物学的な変化をもたらす有効なメカニズムとは言えないのです。

進化と創造を検証する

歴史的偶発性という概念は進化のプロセスによる“外観上のデザイン”と知的デザインの違いを識別する強力な方法を示唆するのです。それは偶発性が生物学的な領域に作用しているかどうかを検証することです[3]。生物がもっぱら進化のプロセスの結果であるなら、進化が反復するという事例は、あるとしてもわずかしかないことが予期されるはずです。しかし、それは事実ではありません。過去6年間で、生物の系統分類学における分子論的なデータの使用が増えるに伴い、“反復可能な”進化の多数の事例が明らかになりました。しかし、形態学的に同一であるが遺伝的に関連性のない生物の発見は、聖書的な創造を強力にサポートするのです。このような“反復可能な”進化の事例には、アノリス(訳注:タテガミトカゲ科)、アカガエル、シクリッド、トゲウオ、マンガベイ(訳注:オナガザル亜科)、川イルカ、陸生植物であるペリカリス属(訳注:サイネリア)が含まれます。

アノリス(タテガミトカゲ科)

大アンティル諸島(キューバ、ヒスパニオラ島、ジャマイカ、プエルトリコ)に生息しているアノリスは、六つの特色のある生態学的ニッチ(生態的地位)に完全に適応しています[4]。特定の生態学的ニッチに完全に適応している種は、エコモルフ(ecomorph)と呼ばれます。大アンティル諸島に生息するアノリスの二例のエコモルフは、折れやすい小枝に生息する短足の小さなトカゲと樹木の頂上を占拠する大きなつま先を持つ大きなトカゲです。大アンティル諸島に生息するアノリスの形態学的な分析は、客観的にエコモルフとして認識されます[5]。それらの形態学的な特徴、あるいは密接な類似性に基づいて、異なる島からグループ化された同じエコモルフの種は、同じ島のトカゲよりも近縁であることが分かりました。 それゆえに、進化のプロセスの偶発性を考慮するなら、すべてのエコモルフは祖先種から同時に進化したことが期待されます。さらに、単一の進化のプロセスによって進化したエコモルフのすべてが大アンティル諸島に分布していたことでしょう。しかし、異なるアノリスのミトコンドリアDNAの塩基配列を比較することによって、この可能性を検証すると、同じエコモルフに属するトカゲは互いに関連性がないことが分かったのです[6]。この研究の結論とは、もし自然のプロセスとしての進化が説明要因であったとすれば、アノリスのエコモルフのすべてに進化するためには、少なくとも17〜19の独立した進化の経路が必要であったということです。この研究をコメントして、生物学者のP.H. ハーベィとL. パートリッジは、「生命のテープが再生されたように、別々の島で驚くべき量の顕著な収斂進化が起こったように思える。」と述べました[7]

アカガエル

 1000種以上からなるアカガエルは、世界中でありふれた生物です。これらのカエルは、広範な生活スタイルと生息環境に適応してきました。アオガエル亜科(アマガエル)とトモプテルニナル亜科(穴掘りカエル)というアカガエルの二つの亜科は、マダガスカルやインド亜大陸で見られます。それらは、形態学的にも生理学的にも発生学的にもほとんど区別することができず、二つのグループのエコモルフに分類されます。  両生類は一般的に海水を移動することができません。これは、カエルでは特にそうです。ですから、進化論的な観点から、これらのアマガエルと穴掘りカエルは、かつて一つであったゴンドワナ大陸からマダガスカルとセーシェルとインドの構造プレートが分離する前に進化したと長い間考えられてきました。この構造プレートは約1億3000万年前にゴンドワナ大陸から分かれてマダガスカル島を形成し、さらにユーラシア大陸と接触してインド亜大陸を形成したと信じられています。アマガエルや穴掘りカエルのあるものは、こうした過程によって受動的に運ばれ、互いに隔離されました。  しかし、マダガスカルやインドのアカガエルの核内とミトコンドリアのDNAの解析は、このような進化論的な説明が支持できないことを証明したのです[8]。DNAの塩基配列の解析は、形態学的な特徴ではなく、地理に基づいてこれらのエコモルフをグループ分けするのです。言い換えると、進化論的な観点から、マダガスカルとインドに生息する穴掘りカエルとアマガエルは、別々に進化したことになるのです。また、この同じ研究によって、スリランカとインドのアカガエルのエコモルフが“反復”進化したことが確認されたのです[9]。さらに驚くべきことに、DNAの塩基配列の解析から、マダガスカルとインドのエコモルフの中には幼生の特徴も同一のものがあることが結論されるのです。このことは、進化論的な観点から見れば、あるケースでは複雑な進化の経路と幼生時の生活様式が独立に進化して、同じ結果を生み出したことを意味するのです[10]

シクリッド

形態や体色や習性においてかなりの違いがある淡水魚であるシクリッドは、南半球の至るところに分布しています[11]。シクリッドのエコモルフでは、多数の事例が東アフリカのビクトリア湖とマラウィ湖とタンガニーカ湖で確認されています。進化論的な説明によると、これらのエコモルフのすべては同時期に進化し、それから一つの湖が湖面の下降によって地理的に区別される三つの湖に分かれた後に、それぞれの湖に別個に隔離されたと主張されます[12]。 しかし、ミトコンドリアDNAの塩基配列の解析によって、これら東アフリカの三つの湖で見られるエコモルフは、進化論で説明するならば、独立して別々の時期に進化したに違いないことが示唆されたのです[13][14][15][16][17]。また、カメルーンの二つの湖に生息するシクリッドのエコモルフが別個に出現したことが注目されました[18]]。さらに驚くべきことには、タンガニーカ湖の異なる場所に生息するエコモルフに複数の独立した起源があることが最近確認されたのです[19]。すなわち、進化論的な観点からは、タンガニーカ湖に生息するシクリッドの中で形態学的に区別ができないのに別種であるものは、複数回にわたってまさに同じ方法で “進化した”と考えられるのです。

トゲウオ

シクリッドと同様に、ブリティッシュ・コロンビアで見られるトゲウオも別個に何回か進化して同じエコモルフとなったと信じられています。二つの種のトゲウオ、すなわちずんぐりした底生性のものと流線型の開放水域(訳注:島や岩礁がない水域)に生息するものがブリティッシュ・コロンビアの太平洋岸付近の孤立した複数の湖に見られます。標準的な進化論的な説明では、海洋性のトゲウオの一種から進化したこれらの二つの種は、湖面の水面レベルが低下した後、それぞれの湖に隔離され、別個に生息したことになります[20]。ミトコンドリアDNAの解析は、この最も理屈に合う説明に反する結果をもたらしたのです[21]。すなわち、同じ湖のトゲウオ同士は、異なる湖の形態学的に同一の種よりも高度な遺伝的類似性があることが示されたのです。ですから、進化論的な観点によると、孤立したそれぞれの湖に棲むトゲウオのエコモルフは、“再現可能な”進化的な出来事の産物ということになります。 最近の繁殖実験によって、上記の結論が確かめられました[22]。実験室環境において、トゲウオが同じ湖に生息する異なるエコモルフを避けて、異なる湖の同じエコモルフ同士で異種交配しようとする姿が見られたのです。種の生物学的な定義を考慮すると、この実験結果は興味深いものです。生物学的には、種とは交配する個体群であると考えられています。異なる湖に棲む同じエコモルフ同士が異種交配しようとすることは、形態学的にも行動学的にも同じエコモルフに属する種同士の類似性がいかに高いのかを示しているのです。

マンガベイ

 マンガベイは、アフリカに見られる大きな旧世界サルです。すべてのマンガベイは、伝統的には形態学的類似性のゆえに、マンガベイという単一の属に置かれていました。ヒヒやドリルやマンドリルやゲラダヒヒがマンガベイの近縁です。初期の分子論的な研究とミトコンドリアDNAの塩基配列の解析は、マンガベイを単一のグループに置く形態学的な分類法に異議を申し立てたのです[23][24]。これらの研究によって、単一のマンガベイ属が二つのグル-プに分けられるべきであり、ほとんど同一のマンガベイが別個に二回、形態的に進化したに違いないことが指摘されたのです。進化論的なパラダイムによれば、最近の核内DNAの解析によって、マンガベイが二つの別個の時期に形態的に“進化した”ことが確かめられたのです[25]。 以上の結果は、形態学的に区別ができないのに、セルコセブス(Cercocebus)属とロフォセブス(Lophocebus)属という二つの属に区分すべきことを支持するだけではなく、ドリルとマンドリルとヒヒの間に見られる形態学的に高度な類似性は、別個に進化したことも示します。核内DNAの塩基配列の解析は、ドリルとマンドリルをセルコセブス属に、ヒヒとゲラダヒヒをロフォセブス属に帰属させます[26]。分子論的な研究からヒントを受け、二人の生物学者は最近、セルコセブス属とロフォセブス属の腕と足の骨に微妙な違いを確認しました[27]。しかし、これらの種の骨格や歯の違いはあまりにもわずかなので、DNAの塩基配列のデータがなければ、これらの相違が認識されたかどうかは疑わしいのです。そうであったとしても、重要な違いとして受け取られなかったことでしょう。

川イルカ

 鯨やネズミイルカやイルカのような他の海洋性の哺乳類とは異なり、川イルカは淡水環境である河川に生息しています。現存種では四種の川イルカがいます。これらの中で三種は別個に淡水に、一種(ラプラタ川イルカ)は河口と沿岸水域に棲んでいます。それらの川イルカは、インドのガンジス川やブラマピュトラ川、中国の揚子江、アマゾン川に生息しています。  川イルカは形態学的に類似した特徴を共有しています。生物学者の一般的な見解は、川イルカは単一の進化の経路によって出現したというものです。ところが、ミトコンドリアと核内のDNAの塩基配列が証明するのは、別のことなのです[28]。すなわち、DNAの塩基配列のデータが進化論的な文脈で解釈されるなら、四種の川イルカは、別個に繰り返し進化して、同じ特性を獲得したことになるのです。

ペリカリス属(訳注:サイネリア)

 ヒマワリと近縁である植物であるペリカリス属は、アフリカ西海岸沖にあるマカロネシア群島(アゾレス諸島、カナリア諸島、カーボベルデ共和国、マデイラ諸島、セルバージェンス諸島)で見られます[29]。マカロネシア群島に見られるペリカリス属のうち、六つの種は木質で、九つの種は草本です。このことは驚くことではありません。なぜなら、多くの島の植物は、本土の草本か柔らかい植物が木質に変異したものだからです。  ペリカリス属の木質の起源に対する進化論的に最も合理的な説明は、本土で進化してマカロネシア群島に移動する手段を見つけたのだということです。しかし、核内DNAの塩基配列の解析によって遺伝的な類似性がないことが明らかとなり、この説明は否定されます。したがって、進化論的な前提によって検証されるなら、ペリカリス属の木質は少なくとも二つの時期に別個に進化したことが示唆されるのです[30]

反復可能な進化を説明する進化論的な試み

“反復可能な”進化の一つ一つのケースそれ自体は異常な出来事と考えられ、生物進化という“真理”に対する真の脅威を突きつけたことにはならないとされます。しかし、進化のプロセスを引き起こすために有効なメカニズムである偶然性を考慮すると、生物の全体が別個にかつ再現可能な方法で進化したように見える“反復可能な”進化の多くの事例は、簡単に起こるものではありません。方法論上の自然主義、すなわち物理的・物質的世界での現象を説明するために自然主義的な説明だけを使用するという概念は、“反復可能な”進化が起こったことを、まさに想定外であり、かつ異例のことと見なします。しかし、彼らの哲学的な傾向は、自然に見られるエコモルフを繰り返し出現させたことに創造主が関与したという可能性を考慮させないのです。これらの形態学的に区別がつかないが、遺伝的には明白な違いがあるエコモルフは、創造主がその被造物に対して抱いておられた数多くの明白な特徴の一つであると考えるのは、妥当なことなのです。事実、唯一の創造主が生命の出現に関与されたのなら、生物界の全域にわたって同じ青写真を繰り返し複製された事例が見られることが予期されるのです。唯一の創造主ができの良いデザインを何度も何度も繰り返して再利用されたことが期待されることでしょう。 すでに引用した事例を考慮すると、進化論的な生物学者が“反復可能な”進化を説明できているようには思えません。この現象を説明しようとする試みの一つは、“特別な”能力を自然選択力に付与することです[31]。生物は生態学的な環境に完全に適応しており、それゆえに生殖年齢まで生き延びる可能性がより大きいので、生存競争や捕食関係や環境の影響という自然選択力が繰り返し同一の経路に進化のプロセスを導いて同じ生物を生じさせたと考えられています。頻発する進化のためのこの説明は、選択力とは盲目のフィルター以外の何ものでもないという事実を無視しています。自然選択は、繁殖集団の遺伝的な構造に起こったランダムな変化によって獲得された遺伝的形質にだけ働くことができるのです。ゲノムの複雑さを考えると、これらの変化が反復可能であったり、時間的に同一な順序に起こったりするというのは、ありそうもないことなのです。 さらに、生物の生態学を構成するファクターがずっと同一であることもありそうもないことなのです。例えば、マダガスカルでの生態学的な環境の変化がインドの生態学的な環境の変化と同一であったということはなかったでしょう。自然選択の構成要素は偶然と自然史に影響されます。それゆえに、自然選択が別々の進化的順序を導いて、どういうわけか著しく収束した形態学的な特質を生物に生じさせたなどとは、期待されるものではないのです。 進化論的な生物学者は、よく知られているバクテリアの実験によって、自然選択が進化のプロセスにおいて生物学的な特徴を収束させると結論しています[32]。これらの実験では、同一の環境に置かれたバクテリアの繁殖集団が、偶然や突然変異や過去のプロセスにもかかわらず、同じような適応(生物の生存能力の尺度)をすることが証明されたのです。しかし、二つの理由から、これらの実験から引き出された結論は、自然選択にこのような指導的な役割があることを支持しないのです。 先ず、適応度とは形態学的な特徴とは異なっているのです。適応度とは、生物の特徴とは無関係であり、生き残る能力を表すからです。自然選択が数学的なモデルにおいて最適な適応度に集中したり、環境のストレスに対してバクテリアが反応するような特性があったりするのは、驚くべきことではないのです。しかし、最適な適応度が、起りそうもない形態学的な特徴への収束を説明するということにはならないのです。第二に、形態学的な特徴がない単細胞生物で、個体数が極めて多く、短い世代時間を持つバクテリアの群生に当てはまることが、“反復可能な”進化をするとされているような高等な多細胞生物にも当てはまるとは、必ずしも言えないのです[33]。これらの複雑な高等生物の繁殖集団や生殖特性は、それらが進化する可能性を排除するのです。 進化論というパラダイムの枠組みで“反復可能な”進化を説明しようとするもう一つの試みは、先天的で生物学的、および発生学的な制約に基づいています[34]。この考えによると、これらの制約は一定の変異だけを進化のプロセスで起こさせるというものです。それで、進化が起こる時、限られた数のエコモルフしか生じないので、同じエコモルフが繰り返し生じることになるというのです。この説明では不十分です。発生学的、および先天的な生物学的な制約は、生物に作用する環境や捕食関係や生存競争に関する“知識”をまったく持ち合わせていません。それゆえに、そのような制約によってエコモルフが生じることなど期待されることはないのです。このような説明に対して、こう質問せざるを得ないでしょう。「なぜ、生物は生態学的なニッチに完全に適応しているのですか。完全な適応度が普遍的に見られるのは、生物学的な変異への制約と矛盾することなのです。」

結  論

 チャールズ・ダーウィンの影響(『種の起源』は最初に1859年に出版された)に先立って、科学者たちは、生物の間に見られる類似性を基本的なデザイン、あるいはアーキタイプ(原型)の変形によるものと見なしました[35]。この生命の“青写真”は、神の御心から直接もたらされたものとして承認されていたのです。特定の分類群に入れられた生物は、創造主によって与えられたデザインの変形として考えられていたのです。  しかし、ダーウィンの進化論に向かう潮流へと転換が始まった時、生物学者は生物間の関係を共通の祖先から変異した子孫を反映するものとして理解するようになったのです。互いに関連性を持つある生物群を生じさせた祖先種がアーキタイプの替わりとなり、ランダムな生物学的な変異に働く自然選択が神の創造の御手に取って代わったのです。進化論者と創造論者はともに生物学の分野で見られる特徴を説明しようとする時、説明の結果として異なる予測が出てきます。生物学的な進化を支配するのは、本質的に偶然と出来事の自然史的な順序なのです。それ故に、進化のプロセスが繰り返される事例は、もしあったとしてもわずかであると予測されるのです。反対に、唯一の創造主が地球上の生命に関与されたのなら、自然界全体にデザインが反覆されることが予測されます。  分子系統学の広範な使用によって、今や科学者は自然に関するこれら二つの解釈を検証することができるのです。分子系統学が現生種と絶滅種を含めた生物間の関連性を特定するためにますます使用されるに伴い、形態学的に同一でありながら、遺伝学的に明白に区別される数多くの事例が発見されているのです。反復可能な進化が広範囲に起こっていることは、進化論的なパラダイムの枠内では調和させることができないのです。  “反復可能な”進化の発見に直面して、進化論的なパラダイムは役に立たないのです。しかし、聖書的な創造論は、この現象によって支持されているのです。“反復可能な”進化として解釈されるもの、すなわち形態学的に区別できないのに、遺伝学的には他と比較するものがない生物は、地球史の全体にわたって唯一の創造主が生命を生じさせたのなら、予測されるものなのです。時間が経過するにつれて、“反復可能な”進化の事例はますます増えることが期待されます。この現象が新たに発見されるごとに、進化論的なパラダイムが弱体化し、神による創造への裏づけが強まるのです。

引用文献

1 Stephen J. Gould, Wonderful Life: The Burgess Shale and the Nature of History (New York, NY: W.W. Norton & Company, 1989), 51.

2 Gould, 48.

3 John Cafferky, Evolution’s Hand: Searching for the Creator in Contemporary Science (Toronto, Canada: East End Books, 1997,) 66-69.

4 Jonathan B. Losos and Kevin de Querioz, “Darwin’s Lizards,” Natural History, December /January, (1997/1998): 34-37.

5 Jonathan B. Losos, et al., “Contingency and Determinism in Replicated Adaptive Radiations of Island Lizards,” Science 279 (1998): 2115-2118.

6 Losos, et al., 2115-2118.

7 Paul H. Harvey and Linda Partridge, “Different Routes to Similar Ends,” Nature 392 (1998): 552-553.

8 Frankly Bossuyt and Michel C. Milinkovitch, “Convergent Adaptive Radiations in Madagascar and Asian Ranid Frogs Reveal Co-Variation Between Larval and Adult Frogs,” Proceedings of the National Academy of Sciences, USA 97 (2000): 6585-6590.

9 Bossuyt and Milinkovitch, 6585-6590.

10 Bossuyt and Milinkovitch, 6585-6590.

11 Melanie L.J. Stiassny and Axel Meyer, “Cichlids of the Rift Lakes,” Scientific American, February (1999): 64-69.

12 Erik Verhegen et. al., “Mitochondrial Phylogeography of Rock-Dwelling Cichlid Fishes Reveals Evolutionary Influence of Historical Lake Level Fluctuations of Lake Tanganyika, Africa,” Philosophical Transactions of the Royal Society of London B 351 (1996): 797-805.

13 Stiassny and Meyer, 64-69.

14 Verheyen et al., 797-805.

15 Axel Meyer et. al., “Monophyletic Origin of Lake Victoria Cichlid Fishes Suggested by Mitochondrial DNA Sequences,” Nature 347 (1990): 550-553.

16 John C. Arise, “Flocks of African Fishes,” Nature 347 (1990): 512-513.

17 Axel Meyer, “Phylogenetic Relationships and Evolutionary Processes in East African Cichlid Fishes,” Trends in Ecology and Evolution 8 (1993): 279-284.

18 Ulrich K. Schliewen, et. al., “Sympatric Speciation Suggested by Monophyly of Crater Lake Cichlids,” Nature 368 (1994): 629-632.

19 Lukos Ruber et. al., “Replicated Evolution of Trophic Specializations in an Endemic Cichlid Fish Lineage from Lake Tanganyika,” Proceedings of the Natural Academy of Sciences, USA 96 (1999): 10230-10235.

20 Elizabeth Pennisi, “Nature Steers a Predictable Course,” Science 287 (2000): 207-208.

21 Eric B. Taylor and J.D. McPhail, “Evolutionary History of an Adaptive Radiation in Species Pairs of Threespine Sticklebacks (Gasterosteus): Insights from Mitochondrial DNA,” Biological Journal of the Linnean Society 66 (1999): 271-291.

22 Howard D. Randle, et. al., “Natural Selection and Parallel Speciation in Sympatric Sticklebacks,” Science 287 (2000): 306-308.

23 John E. Cronin and Vincent M. Sarich, “Molecular Evidence for Dual Origins of Mangabeys Among Old World Monkeys,” Nature 260 (1976): 700-702.

24 Todd R. Disotell, et. al., “Mitochondrial DNA Phylogeny of the Old World Monkey Tribe Papionini,” Molecular Biology and Evolution 9 (1992): 1-13.

25 Eugene E. Harris and Todd R. Disotell, “Nuclear Gene Trees and the Phylogenetic Relationships of Mangabeys (Primates: Papionini),” Molecular Biology and Evolution 15 (1998): 892-900.

26 Harris and Disotell, 892-900.

27 John G. Heagle and W. Scott McGraw, “Skeletal and Dental Morphology Supports Diphyletic Origins of Baboons and Mandrills,” Proceedings of the National Academy of Sciences, USA 96 (1999): 1157-1161.

28 Insa Cassens et. al., “Independent Adaptation to Riverine Habitats Allowed Survival of Ancient Cetacean Lineages,” Proceedings of the National Academies of Sciences, USA 97 (2000): 11343-11347.

29 Kathryn S. Brown, “Why Woodiness?,” Natural History, December/January (1999/2000): 74-77.

30 Jose L. Panero, et. al., “Molecular Evidence for Multiple Origins of Woodiness and a New World Biogeographic Connection of the Macroneasian Island Endemic Pericallis (Asteraceae: Senecimeae)” Proceedings of the National Academy of Sciences, USA 96 (1999): 13886-13891.

31 Losos, et. al., 2115-2118.

32 Michael Travisano et. al. “Experimental Test of the Roles of Adaptation, Chance and History in Evolution,” Science 276 (1995): 87-90.

33 Hugh Ross, “How Speciation “Rules” Rule Out Darwinism,” Facts for Faith 1, no. 2 (2000): 56-57.

34 David B. Wake, “Homoplasy: The Result of Natural Selection, or Evidence of Design Limitations?,” American Naturalist 138 (1991): 543-567.

35 Michael Denton, Evolution: A Theory in Crisis (Bethesda, MD: Adler & Adler, 1985,) 93-117.

Updated: 2007 年 08 月 20 日,07:17 午後

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