ノアの大洪水-鳥の視線から

【Title】Noah's flood: a bird's eye view

【Author】Steve Sarigianis

【Literature】Facts for Faith 10, p.17; 2002(3rd quarter)

松崎英高(箱崎キリスト福音教会牧師)、ティモシー・ボイル(つくばクリスチャンセンター宣教師、物理学学士号、神学博士)共訳

ジョンソン先生は微笑みながら、その週のレッスンのためのクラスを開きました。彼女は、聖書を膝の上に開いて、ノアの大洪水の物語を朗読し始めま した。1年生である彼女の生徒たちは床の上にあぐらをかき、いくらかじっとしていられない様子でしたが、静かに聞いていました。彼女が創世記8章9節を 読んだ時、子供たちの幾人かは彼女の優しい声を聞こうとして身を乗り出しました。「鳩は、その足を休める場所が見あたらなかったので、箱舟の彼のもとに 帰って来た。水が全地の面にあったからである。」

「地球全体にってこと」

「そうよ。地球全体によ。」とジョンソン先生は答えました。創世記の洪水が全地球的な規模であったのか、それとも地域に限定されたものであったの かという質問には、日曜学校の先生はしばしばこのように答えます。

しかし、その質問がやむことはありません。事実、それはキリスト教界で激しい議論を沸き起こしてきたものです。このテーマに関して、聖書の無誤性 と科学の信頼性の双方が危機に陥ることになりかねません。創世記6章から9章まで英語版聖書にさっと目を通すと、少なくとも地球規模に世界観が拡大した 大航海時代以降の読者は、全地球的な出来事であるという印象を持ちます。しかし、それに対する科学的な反証は、明白で説得力があるように思えます。その 反証には、大洪水を起こすほどの水の量が不足していたとか、箱舟が地球上のあらゆる陸生の生物種を養うためには不十分であったということも含まれていま す。このジレンマが、聖書と科学の両方を真剣に受け止めようとする人々の心に、苦痛を伴う緊張感を生じさせるのです。

(聖書の元々の意図を発見するという)聖書解釈の厳密な規則に従えば、全地球的規模の洪水説は、表面的にしか読まない読者が主張するほどには明白 でないし、一貫性のあるものでもないと、思慮深い読者なら理解します。創世記の本文と科学的記録の双方の信憑性を前提として、もっともらしく思えるシナ リオが明らかになろうとしています。地域限定的な洪水説の場合、神学、聖書本文、人類学、地質学という4つの概略的なカテゴリーに分けられます。

神学的側面

創世記6章から9章が全人類的な背反と霊的な堕落に対する神のさばきの行為を物語っているとするならば、神を恐れる一人の男の家族を除いてすべて の人間を洪水が滅ぼしたことが事実かどうかという点が、聖書の信憑性を本質的に左右します。言い換えれば、神学的なキー・ポイントは、地理的な範囲には 関係なく、洪水がノアの家族以外の全人類を滅ぼしたかどうかなのです。ヘブル語本文はこのような全人類的な洪水の影響を支持し、文脈的な観点からは地域 限定説が十分可能です。

旧約聖書全体では、罪に対する神のさばきは、人間の邪悪さが及ぼした影響と範囲に限定されていたように見えます。神のさばきは通常、罪人自身と数 世代の彼らの子孫たちと農作業に使用された彼らの動物と物質的な所有物、そして、極端な場合には彼らの農地に下りました。もし人類がメソポタミア以外に 拡がっていなかったのなら、神は遠距離の地域やそこに住む動物を滅ぼす理由はなかったでしょう。

聖書本文の考察

創世記8章9節には、「水が全地の面にあったから」、ノアによって送り出された鳩は、その足を休める場所がなかった、と記されています。しかし、 それより4節前の創世記8章5節では、ノアにとって「山々の頂が現われた」ほどに洪水の水が引いた、と本文には記されています。この箇所の正しい解釈 は、鳩の立場に視点を置くかどうかにかかっています。同様に、創世記7章19節の「天の下にある」という語句は、現代の地球的な視点からではなく、メソ ポタミアでのノアの視点から解釈されなければなりません。

聖書の他の聖句からの幾つかの例は、このような視点を持つことが注意深い解釈のために必要であることを証明しています。列王記第一10章24節に は、「全世界の者は、神が彼の心に授けられた知恵を聞こうとして、ソロモンに謁見を求めた」と記されています。アメリカや極東からのあらゆる民族が代表 を送ったのでしょうか。殆どの人はそんなことを考えもしないでしょう。聖書本文では、最も遠距離からの訪問者は、現在のエチオピアに近い地域にあった シェバの女王です(列王10章1-13節)。ローマ1章8節には、ローマ人の信仰が「全世界に」伝えられていると述べられています。しかし、殆どの読者 は、パウロの言わんとするところは、地球のすべての地域ではなく、ローマ世界、すなわち、ローマ帝国の全地域であると理解します。(訳注:また、同じ創 世記にも、「ききんが全世界にひどくなったので、世界中が穀物を買うために、エジプトのヨセフのところに来た」(41章57節)と記されています。これ を読んで、縄文時代の日本人がエジプトまで、穀物を買いに行ったと解釈する人がいるでしょうか。)

大洪水についての聖書本文を正しく解釈するためのさらなる手助けは、詩篇104篇です。5-9節は、海洋が地球を完全に覆っていた時代に新たに形 作られた地球、すなわち高等な生物が創造される以前の時代について述べています。大陸が現われた時、水は海盆に集まりました。これらの節で描かれている 出来事は、既知の地質学的事実と完全に合致しており、最初の陸の形成は創造の3日目に集中しています(創世記1章9-10節)。それに続いて詩篇では、 水が再び地球全体を覆うことはないと述べられているのは明らかなことです。

人類学的観点

北と東にある危険な山脈と南と西にある荒涼たる砂漠は、初期の人類が水に恵まれたメソポタミア平原から離れることを困難にしました。すべての世界 史の教科書では事実上、この地域を「文明の発祥地」としています。

創世記1章から9章において、神が人類に最も繰り返した命令は、その数を増やし地球を満たすようにということでした(創世記1章26, 28節; 9章1節; 9章7節)。神が繰り返し主張されたということは、人間の一貫した反逆が暗示されています。神が人間たちを分散させるためにバベルで直接的に介入する (創世記11:9)ほど頑固に、人間は地を満たせという神の命令に抵抗したようです。人々がメソポタミア地方の外に拡散しなかった別の根拠は、創世記1 章から9章に記述されている人々のすべては、その地域に住んでいたということです[1]。そして、それは広大な地域です。メソポタミア平原のほとんどを含む現代の国家であるイラクには、2,000万人以 上の人々が住んでいます[2]

地球物理学的視点

大洪水を地域限定的なものとする解釈は、地殻と大気に含まれる水の量に関する科学的な事実と合致します。創世記7章1-12節は、大洪水の水が地 球の帯水層と大気に由来することと、(創世記8章1-5節に従えば)最終的にはそれらの場所に戻ったことを指摘しています。物理学者たちの計算による と、地球には地球上のすべての山を覆うために必要とされる水の22%しかありません。

ある聖書解釈者たちは、水の必要量を減ずる方法として、大洪水の期間に全地球的規模の急激な地質的な変化があったのだと主張しました。しかし、地 殻変動や侵食が途方もない速度で進行することは、過去200年間にわたって収集された証拠と矛盾します。さらに、その時に発生する壊滅的な力に箱舟は持 ちこたえることができなかったことでしょう。

放射性年代測定技術の進歩と全地球的に地中深くから採取された何千というコアのサンプルを絶えず蓄積しつつ、地球の地質学的な歴史は、観測によっ て確認できた地質構造の変化のプロセスに基づいてよく理解されています[3]。地質学的研究による発見は、全地球的な規模の洪水説を支持しません。一方では、地域限定的な洪水説はテストされ、 検証することができるのです。

聖書本文と神学的な考察によって要求される規模の地域限定的な洪水でさえ、神の直接的な介入を必要とします。一つの場所に、しかも、特定の時間 に、莫大な量の水の集中をもたらす大気や地質的なプロセスは、"偶然の一致による"事件として片付けることはできません。神の介入を科学的に証明するこ とは困難ですが、そのような解釈の信憑性を確かめるために特定の要素を検証することはできます[4]

一つの要素とは、メソポタミア地方の地理です。もっと具体的に言えば、大洪水のすべての気象学的条件と絡んで、その地域の地形は何ヶ月もの間洪水 の水を閉じ込めることができました。洪水の水は、箱舟にいるものを除いて、すべての人間やともにいた動物を滅ぼすほどに十分に深いものになったことで しょう。

地形学者たちは、影付きの浮き彫り地図を作るために、デジタル式の標高データを使用することができます(図1)。このタイプの地図は、主観的に訴 えるものがありますが、解析と計測においては限定的な助けにしかなりません。

地形を解析するためのもっと効果的な方法は、標高の違いで色分けした標高帯を作成することです。コンピューターと地理的情報システム(GIS)用 ソフトウェアを使用すれば、必要な情報を視覚によってはっきりと識別できるように、標高帯を色分けすることができます。また、色分けしたそれぞれの 「帯」の幅は傾斜の大まかな度合いを表します。中近東の標高による色分けは過去にもなされましたが、それは1km間隔の標高地点によるデータから作られ た典型的なものでした。一般的な地形図は、1km間隔のデータでも見ることができますが、地形の捕らえにくい細部ははっきりしません(図2)。

[5] [6]

メソポタミア地方の100m間隔の標高地点を持つデジタル化された標高データにより、標高の違いによる色分け(図3)を行なうと、細部の地形まで も十分に再現されます[7]。このような地形図を準備するためには、1度セル当たり204個のデータを "ArcView GIS"という ソフトウェアに入力する必要がありました。次のステップは、メソポタミア地方の面積である228万4,000平方kmをカバーする、グリッド入りのデー タの巨大な集合の中にそのセルを取り込むことです。それから、それぞれのセルの中にあるデータは、観察や解析を容易にするために、七色の帯で区別されま す。参照のために、現代の国境線と二つの大河を表す点線が追加されました。最後に、地形図を分かり易くするために現代の国の名称と地図の注釈が追加され ました。創世記の洪水が想定される範囲に対応して、入り組んだ地形の細部は、標高データを解析することにより200mごと、あるいは300mごと、ある いは400mごとの標高で見ることができます。

高解像度標高帯の色分け(図3)から分かった重要な推論

1. メソポタミア地方の地形は、ペルシヤ湾から北西部に960km伸びる巨大なU字型のボウルの形をしてい ます。200m以下から1,000mにせり上がる険しい急斜面が、メソポタミア平原の北と東の境界線となっています。徐々にではあるが一貫して高くなり 400mにまで達する地形が、南と西の境界線となっています。400m以上の標高が、海に面しているところを除いて、メソポタミア平原を完全に封じ込め ています。

2.  聖書の洪水は、異常な地球物理学的な出来事です。巨大な地下の帯水層(創世記7章11節での「巨大な 大いなる水の源」)が、突然「張り裂けた」。さらに、創世記7章12節では、「天の水門が開かれた。」そして、40日40夜雨が降りました。言い換えれ ば、豪雨が40日間継続的にその地域に降り続きました。気象学的には、年間250-500mmの平均雨量しかないこの地域で、これらの要因は前代未聞の 降雨を引き起こしました[8]。この地域において、こんなに大きく、強烈で、持続的な嵐が起こることなど、自然の力で説明がつくものではありませ ん。

この前代未聞の強大なスーパー・ストームは、ペルシヤ湾における巨大な高潮を引き起こしたことでしょう。嵐によって高潮が起こる時に、嵐を引き起 こした低気圧の中心付近を回転している風の力は、水を岸に押し付けます。大型台風による高潮は、80kmの幅にわたって8mの高さにまで及びます[9]。ペルシヤ湾のような浅い沿海の場合、嵐による高潮はさらに大きくなります。そして、より大きな高潮は動きの遅い嵐 で観測されます。創世記のスーパー・ストームは、少なくとも5週間静止したままでした。それで、その嵐による海面上昇は、これまでに経験したことがな かったほどに(計算不能ではあるが)、大きいものであったに違いありません。嵐による海面上昇が200mの高さに達すると、創世記が記録する期間に、洪 水の破壊的なレベルを維持するには十分であったことは確実でしょう。

当時、地上のすべての人間がメソポタミア平原に住んでいたと仮定すると、200~300mに達する洪水は、その地のすべての人間を滅ぼしたことで しょう。そのような洪水が起こった地域は、今日のイラク、イラン、クエート、サウジ・アラビア、シリアに属する地域を含んでいたことでしょう(図3)。

3.  箱舟が辿り着いた場所の記述も、地理的にも歴史的にももっともらしく思えます。創世記8章4節では、 その場所は現在のイラク中央部の北にあり、想定される最も高い水位(約400m)より下にあった「アララテ山」(訳注:ヘブライ語では「アララテ山 脈」)となっています。図4は、色分け作業をする以前の生の標高データを表わしています。デコボコした急勾配のアララテ山脈が、はっきりと目に留まりま す。因みに、大洪水後に、箱舟の木材は寸法に合わせて切断されて利用されたと仮定しても、それは論理的にもありそうなことです。ですから、箱舟を探す調 査は、徒労に終わる可能性が高いのです[10]

創世記の洪水の正確な地理的な範囲は決して分からないでしょう。しかし、聖書に描かれている事件は、全人類と彼らの動物を滅ぼす災害でありなが ら、地球規模の洪水ではなく地域限定的な洪水であったと、地理学者たちはそれなりの確信をもって言えます。創世記の洪水記事に関するこの解釈は、証拠と しての事実と合致しています。注意深く、また敬意を表しつつ、聖書の資料を科学的資料と統合させて導かれる世界観は、生命に関する大きな疑問に対して、 その起源や意味や倫理や運命を含めて、筋の通った、検証可能な解答を提供します。[11]創世記6章から9章の地域限定的な洪水説は、日曜学校で教えられるべき人間の歴史に関して、真理の土台の一つを 提供します。

引用文献

1 Hugh Ross, The Genesis Question(Colorado Springs, CO: Navpress, 2001), 148.

2 The World Factbook 1994 (Washington, DC: Central Intelligence Agency, 1994), 191.

3 G. Brent Dalrymple, The Age of the Earth (Stanford, CA: Stanford University Press, 1991), 122.

4 For more detailed information see Ross, The Genesis Question,chapters 17-20.

5 World Maps, topographic color and shaded relief from GLOBE Elevations with bathymetry from Smith and Sandwell, available by ftp here; Internet; accessed 24 January 2002.

6 TheGlobal Land One-km Base Elevation(GLOBE) Project, available here; Internet; accessed 24 January 2002.

7 The data’s absolute vertical accuracy is +30 meters at 90% linear error.

8 Sverre Pettersen, Introduction to Meteorology (New York: McGraw-Hill, 1969), 274.

9 National Oceanographic and Atmospheric Administration, available from http://hurricanes.noaa.gov/prepare/surge.htm; Internet; accessed 24 January 2002.

10 Ross, 170.

11 Ravi Zacharias, Can Man Live Without God? (Dallas, TX: Word, 1994), 126.


付録: ノアの大洪水における水位の数学的考察

ヒュー・ロス

創世記の本文は、洪水の正確な深さを特定しているわけではありません。箱舟は水の上を漂い、近隣の丘が沈むほど水位が上がったので、ノアの視点か らはすべての地表が水で被われたということを、単に述べているに過ぎません。すなわち、一方の水平線から他方の水平線まで、ノアは水以外何も見なかった ということです。

動物とその食料を載せた、長さ137m、幅23m、高さ23mの箱舟は、恐らく少なくとも6mの喫水が必要でした。もし、ノアが箱舟の最高部に 立ったなら、(屈折率の補正を含めると)彼の目の位置は水面から約9mの高さになったことでしょう。彼に見えた水平線は約13km離れていたことでしょう[12]。水面から30mほど突き出た丘でも、約24km以上離れたなら、視界には入らなかったはずです。水面から 150m、あるいは300mの高さの丘は、それぞれ45km、あるいは61km離れたなら、ノアの視力では捕らえることはできなかったでしょう。

メソポタミア地方では、チグリス川とユーフラテス川がその堤から6mほどの高さにまで氾濫したなら、どちらかの側まで45kmから61kmになる ような場所があるでしょうか。そのような場所があるのです。メソポタミアの南と中央の双方に存在するのです。すべての人間や一緒にいたすべての鳥や哺乳 類がこれほどの小規模の洪水で一掃され得たのか想像できないことはありませんが、起こりそうもないことです。15mか30m、あるいは100mの深さの 水が、より現実的なシナリオとなることでしょう。

チグリス・ユーフラテス川の堤の上から15mか30m、あるいはそれ以上の上昇した水位がペルシヤ湾に流れ出す速度は、土地の勾配に依存します。 ノアの時代にペルシヤ湾の海岸に位置したウルから北西640kmの地点まで、ユーフラテス川とチグリス川はおよそ90mの標高差があります。この標高差 は、たったの0.01%ほどの勾配となります。このような緩やかな斜面においては、洪水の水は大変にゆっくりとペルシヤ湾に移動したことでしょう。さら に、雨が降り止んだ後の数ヶ月間、ペルシヤ湾に流れ出た水は、湧き水やメソポタミア平原を取り囲む遠距離にある山々の雪解けによる流水で置き換えられた ことでしょう。

神は風を送ることによって洪水の水を取り除いたと、創世記8章1節は述べています。地上の緩やかな斜面を考えると、水を取り除くことにおいて、蒸 発が重力よりもより重要な役割を果たします。そのようなシナリオは、例えばミシシッピ盆地を襲った最大の洪水に匹敵します。ミシシッピ洪水の水は、堤か ら15mの高さにまで達して後、水はそのまま静止しているように見えました[13]。その地方の住民は、見分けられるほどの水の動きにはほとんど気づきませんでした。彼らは、水が干上がるまで待 たねばなりませんでした。

蒸発は、洪水の水を取り除くのにどれほど効果的なのでしょうか。典型的な南カルフォルニアの夏の季節に、スイミング・プールは蒸発により平均で1 日に25mmの水を失います。より低い湿度とより高い温度と強い風があれば、蒸発の速度は3倍から4倍になります。ノアの洪水が引くまでの335日にわ たって蒸発した水の合計は、25mから35mに及んだことでしょう。もし重力が蒸発した水の約半分を除いたとするなら、除かれた水の深さは、全体で 38mから51mであったことでしょう。それは、ノアの目に水以外何も見えなかったことを説明するために、余裕があるほどに十分な量の水です。それは、 箱舟の外にいた、ノアと同時代の人々や彼らの家畜のすべてを滅ぼすには、余裕があるほど十分な量の水でもあります。また、それはアララテ山のふもとに箱 舟を運ぶにも、余裕があるほどに十分な量の水でもあります。

引用文献

12 W. M. Smart, Textbook on Spherical Astronomy, 5th ed. (London, UK: Cambridge University Press, 1965), 317-20. 13 See “The Mississippi River Flood of 1993,” at http://www.weather.com/encyclopedia/flood/miss93.html, accessed on 14 March 2002.


付録 創世記11章の系図を年代化する

ヒュー・ロス

出生のリストが論争の原因になることなどありそうもないと思えるかも知れませんが、創世記11章の系図は古くから何世紀も継続した論争の対象でし た。この特定の家系の記録は、ノアからアブラハムに至る世代を浮き彫りにしています。論争の中心は、記録の完全性と家系図が網羅している時間の長さに集 中しています。英語訳聖書の額面の意味では、その記録はそれぞれの父子関係と世代間の正確な年数を一覧にしているように見えます。それらの年数を合計す ると、ノアからアブラハムまで292年という年代になります。

聖書本文のさらに周到な調査と新約聖書ルカ伝3章との相互参照は、異なる可能性を示唆します。それによると、二つの事が顕著です。第一には、言語 上の問題があります。父や子という意味のヘブル語は、それらに対応する英語の単語ほどに限定的な意味ではありません。(訳注:日本語も同様)例えば、 (多くの言語と文化においてもそうだが)、ヘブル語では、父とは祖父や曾祖父や男性の祖先をも意味しました。

第二に、家系図を簡潔にするため、あるいは数字に特定なバランスを持たせるために、省略されることがありました。[14]例えば、マタイは、アブラハムからダビデまで14人の家長、ダビデからバビロン捕囚まで14人の家長、捕囚から キリストまで14人の家長を挙げています。イスラエルの文化では、シンメトリーに高い価値が認められたからです。それは、神の計画や目的を象徴したもの でした。

ルカ伝3章では、サラとアルパクサデの間にカイナンという名前を入れています。創世記11章の系図においては、そのあるはずの場所にカイナンの名 がありません。このことは他にも省略があり得ることを示唆します。他の聖書の系図との比較は、このような結論を支持するために役立ちます。[15]さらに、創世記の本文は、個人よりも、部族、言語、領土、民族に重点を置いています。また、文化的な価値を重視 しています。

創世記11章の系図が不完全であることに同意する学者たちの間にも、不完全さの度合に関しては広範囲に不一致があります。ある人は、アブラハムと ノアの間の年代を約1,000年とすることを提案しますが、他方では数万年であるとの主張もあります。弁証的な見地から最も重要なことは、どちらの年代 が聖書の記録と科学的なデータの両方に最も合致するかということです。

もし、ベラ超新星の爆発が人間の寿命を短縮することに何らかの寄与があったとするなら、それは基準点を提供する助けになります。[16]創世記6章3節は、大洪水の100年ほど前から人間の寿命が指数関数的に短縮し始めたことを示しています。天文 学者たちは、ベラ超新星の年代を9,000年前から37,000年前までと計測しています。[17]その範囲の下限を採用すれば、人類は約10,000年前に登場したことになります。上限の場合は、かなり早い年 代を意味し、系図からの省略によって生じたギャップの大まかな推定期間を提供します。

しかし、創世記には、より正確な年代が分かっている他の出来事が二つあります。一つは、アブラハムの誕生の年代です。もう一つは、ペレグの時代に 相当する放射性炭素の年代です。その時代に、“地は分けられました”(創世記10:25)。

多くの歴史家は、アブラハムを紀元前1,900年と紀元前2,000年の間に置きます。[18]もし、地の分割がベーリング地峡(かつて、アラスカをシベリヤと繋いでいた陸地)が水中に没したことを指すので あれば、ペレグの年代は紀元前9,000年ごろとなるでしょう。[19]これらの二つの年代は、ペレグとアブラハムの誕生の間に7,000年の期間を置きます。二つの固定された年代、 すなわち、系図の最後にあるアブラハムの年代と系図の中間にあるペレグの年代を定めるならば、その系図が含む全ての期間を合理的に推定することができま す。この場合、アブラハムからペレグまで遡って7,000年の期間に、たった5つの家長しか記載されていません。ペレグからノアまで遡って同じような寿 命であったとすると、記載された世代の数が同じであることから、この二人の男の間にはさらに7,000年が経過したと推論することができます。しかし、 聖書本文は、ペレグ以前の時代においては、寿命は平均で2倍以上(ペレグ以後が206年であったのに比較して以前は484年)でした。寿命を算出するた めに比例計算(ほぼ5:2)を利用すれば、ペレグとノアの間の期間は16,500年と推定されます。紀元後2,000年に紀元前2,000年(アブラハ ムの年代)を加え、さらに7,000年(ペレグの年代)を加え、さらに16,500年(ノアの年代)を加えることによって、大洪水は約27,500年前 に起こったと推論することができます。

大洪水のそのような年代は、メソポタミアの域を超えての初期人類の移住やフランスやスペインやオーストラリアで見出された人類の痕跡や遺物につい ての人類学的なデータとも合致しています。正確さがもっと必要であることは明らかですが、このケースではさらなる調査によって、大洪水の年代がずっと強 固なものになる可能性があります。

引用文献

14 James Orr, The International Standard Bible Encyclopedia, Vol. II (Grand Rapids: Eerdmans, 1956), 1185.

15 Norman Geisler and Thomas Howe, When Critics Ask (Grand Rapids: 1992), 38-39, 325.

16 Hugh Ross, The Genesis Questions, 2nd ed. (Colorado, Springs, CO: NavPress, 2001), 107-15, 19-25, 173-87.(和訳あり)

17 B. Aschenback, R. Egger, and J. Trumper, “Discovery of Explosion Fragments Outside the Vela Supernova Remnant Shock-Wave Boundary,” Nature 373 (1995): 588; A. G. Lyne et al., “Very Low Braking Index of the Vela Pulsar, “ Nature 381 (1996): 497-98.

18 The New Bible Dictionary, eds. J.D. Douglas et al. (Grand Rapids: Eerdmans, 1962), 7.

19 Scott A. Elias et al., “Life and Times of Bering Land Bridge,” Nature 382 (1996): 61-63.

Updated: 2006 年 11 月 02 日,04:47 午後

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