オーストラリアに人類が移住した年代に関する最新情報

"Reasons To Believe"(信仰の根拠)が発行した"Connections" (2004年, vol.6, no.2) p.2-3)からの翻訳。

松崎英高(箱崎キリスト福音教会牧師)、ティモシー・ボイル(つくばクリスチャンセンター宣教師、物理学学士号、神学博士)共訳

オーストラリアに人類が移住した年代に関して、RTBモデルを脅かすような問題が何かあるでしょうか。ある人にとっては問題があるかのように思 えるかも知れません。少なくとも、数年前はそうでした。RTBの創造モデルは、人類の創造をおおよそ5万年前の出来事とし、その後のある時点でメソポタ ミア地方からの人類と文明の拡散が起こったとしています[1]。この人類拡散はおそらく、3万年よりも早くはなかったでしょう。1996年に出版された研究報告では、アボリジニ は5万年前から7万5,000年前にオーストラリアに住んでいたとの主張がなされました[2]。RTBモデルはこのデータと矛盾するように思えました。RTBモデルを白紙に戻して見直すべきでしょうか?

答えは、北オーストラリアにある“ジンミウム・ロック・シェルター”と呼ばれる場所にありました。考古学者は何年もの間、そこで研究をしてきま した。その岩壁にある円形の彫刻が、それを調査するように彼らを引きつけたのでした。彼らは最初、その彫刻の年代測定をするために熱ルミネセンス年代測 定法を採用しました。

この測定法により、岩に彫刻する際に生じる砂に含まれていた石英の鉱物が最後に太陽光線にさらされてから経過した時間を測定することができま す。ここで、前提とされているのは、時間の流れの中で堆積物として埋められる前に、それらの鉱物標本のすべてが十分に太陽光線にさらされていたというこ とです。

熱ルミネセンス年代測定法の利点も弱点も周知の“リン光塗料を塗った”プラスチック製品によって説明できます。私の息子たちが幼かった頃、私は リン光塗料を塗った星々を子供部屋の天井に貼り付け、北極星の見つけ方を教えてあげました。就寝時間に電灯を消すと、その星々は子供たちの上で輝きまし た。数時間後に子供たちが寝付いたかどうか、掛け布団がちゃんと掛かっているかどうかを確かめた時、その星々の輝きは失せてしまっていました。(ただ し、それはその間に電気がついていなかった場合に限られます。)

原理的には、消燈後数時間内の任意の時間で子供部屋に入って、その星々が発する光の強度を測定し、リン光を発するようにさせた電灯を消してから 経過した時間を割り出すことができます。しかし、ある変数が事態を複雑にすることもあります。例えば、その星々が吸収した光の量と時間の長さがそうで す。

以上のような疑問を解決するために、11人の研究者たちはジンミウムの現場に戻って、さらに調査をしました[3]。彼らの中には、1996年の結果を出版した研究チームの指導的な科学者が含まれていました。この二番目の研究チー ムは、熱ルミネセンス法と微妙に異なる光励起ルミネセンス分析を標本の石英の粒に実施しました。また、同じ堆積層内にあった、人間の活動からできた炭の 年代の測定を放射性炭素年代測定法で行いました。

その堆積層の上端付近で見つかった石英は2,200年前のものと見られ、最も深いところ(2mの深さ)で見つかった石英の粒は約2万2,000年 前という測定結果が出ました[4]。放射性炭素年代測定法によって得られた複数の炭標本の年代は、100年から3,900年までの範囲にありました[5]。1996年に熱ルミネセンス法で6万年前とされたまさにその地層は、炭の放射性炭素年代測定法で1,000年前か ら3,000年前という結果を得ました。この研究チームの結論は、1996年に発表された年代が“1桁以上”間違っていたというものでした。[6]

この再評価は、3,000年から4,000年以前に人類がオーストラリアへ移住したことを除外するものでは決してありません。オーストラリアの他 の場所において、放射性炭素年代測定法と原子質量分析法を用いて約3万年前という年代が得られています[7]。このような年代は、メソポタミア地方から東半球の別の地域へ人類が移住した最も早い年代と矛盾するものではありま せん[8]。また。これまで述べてきた年代はRTBの創造モデルと合致しており、今の時点で抜本的な見直しをする必要はないと 思われます。

引用文献

1 Hugh Ross, The Genesis Question, 2d ed. Colorado Springs, CO: NavPress, 2001), 107-15, 119-25, 173-87.

2 R. L. K. Fullagar, D. M. Price, and L. M. Head, “Early Human Occupation of Northern Australia: Archeology and Thermoluminescence Dating of Jinmium Rock Shelter, Northern Territory,” Antiquity70 (1996): 751-73.

3 Richard Roberts et al., “Optical and Radiocarbon Dating at Jinmium Rock Shelter in Northern Australia,” Nature393 (1998): 358-62.

4 Roberts et al., 361.

5 Roberts et al., 360-361.

6 Roberts et al., 362.

7 David B. Roberts, R. Tuniz, C. Jones, and R. & J. Head, “New Optical and Radiocarbon Dates from Ngarrabullgan Cave, a Pleistocene Archeological Site in Australia: Implications for the Comparability of Time Clocks and for the Human Colonization of Australia,” Antiquity71 (1997): 183-88.

8 Tim Appenzeller, “Art: Evolution or Revolution,” Science282 (1998): 1451-54.


他にもRTBモデルにとって早過ぎると思われる 年代決定も再度の調査を必要とします

人類創造と文明の拡散に関する創世記の歴史に異議を申し立てているように見える、人類に関する他の年代測定についてはどうでしょうか。そのうち の一つはイスラエルのカルメル山で発掘されたものです。そこでなされた測定では、現代型ホモ・サピエンス(現代人)が10万年前に存在したことが示され ました[9]。もう一つのケースは、ブラジルで見つかった3万5,000年前と測定された建造物です。

結局のところ、これらは両者とも熱ルミネセンス法で測定されたものであり、その方法は測定値の上限としてのみ信頼が置けるものなのです。別の方法 で再調査をすれば、イスラエルとブラジルの遺物は熱ルミネセンス法が出した年代よりもずっと新しいという結果が得られるかも知れません。今の時点では、 これらの発見と創世記の人類創造や歴史との間に、本質的な不一致は存在しません。もう一つの点を付け加えると、「創世記の謎を解 く」(The Genesis Question)において創世記の人類創造の年代記を作成したとき、現在において議論の余地のない測定値のみを掲載しました。

引用文献

9 人類学者たちは、カルメル山で見つかった遺体が現代人(ホモ・サピエンス・サピエンス)なのか、古代型ホモ・サピエン スなのか、論争中です。

Updated: 2006 年 11 月 02 日,04:29 午後

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