イスラエルの歴史の概観1

アブラハムとの「契約」、モーセが指導した「出エジプト」やダビデ王が中心となった古代イスラエルの歴史を考え、イエスの到来のお膳立てをしたことを考える。

アブラハムとの「契約」

創世記1章〜11章は人類の始まりとその初めの歴史の最重要点を述べる。これはもちろん、「有史以前」のことで、何千年(また、何万年)もの口頭で伝わった話のまとめで、聖書によると、それらの詳細は神の霊によって、正しく伝えられた。人類の創造と堕落の話の後、有名な「ノアの箱船」の話や「バベルの塔」の話があって、歴史の流れが4000年ほど前の世界に辿り着く。その時点で、神が「人間の問題」(罪によって、神から離れている状態)の解決策を具体的に実施し始める。それは神を求めていた「アブラハム」というメソポタミアの人を選び、彼に 「契約」を結ぶことにより、「選ばれた民」を作ることにした。このアブラハムはユダヤ教徒とキリスト教徒だけではなく、イスラム教徒にも、「信仰と父」として考えられている。従って、世界の三つの一神教の宗教の中で、深く尊敬されている人物だ。

アブラハムには、神に従って行く心があると神が分かっていたので、神がアブラハムにこう言われた:「あなたは生まれ故郷父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福しあなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る。」(12:1-3)この「契約」(約束)は聖書の中心的なテーマとなり、その後の流れはこの約束がどう成就されるかは聖書全体を支える「背骨」、また繋ぎ合わせる「糸」の役割を果たす。

物語の中で、アブラハムと妻サラは子どもが与えられないまま年を取り、この神からの約束が実現できそうもない状態となった。しかし、奇跡的にこの老夫婦に「約束の子」イサクが与えられ、その子によって、系図が繋がって行った。ところが、その12年前に、サラが普通に考えたら、子どもを作る能力が既になくなっていたため、彼女の召使いを通して、イシュマエルと名付けた子どもを設けた。イシュマエルはアラブ人の祖先となり、イサクはイスラエル人の祖先となった。二人の関係が仲悪い状態で始まり、4000年後の現在にも、その敵意が続いている。(イスラムでは、アラブ人の「父」は同じアブラハムで、イシュマエルを通してできた民族と考えている。)

アブラハムの物語の続きでは、神が彼を試して、理解しがたいことを要求した。それはまだ少年であった息子イサクを生け贄として捧げることだった。その直前に天使がアブラハムを止めて、近くに来た山羊をその代わりとなる生け贄として与えたので、実行することはなかった。それはもちろん、神の計画で、アブラハムを試みる目的だった。これで、アブラハムがイサクを捧げるまででも、とことんまで従って行く決心力があることを確かめたので、アブラハムを祝福する約束を再び誓う。22:15〜18:「主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。御使いは言った。『わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。』」アブラハムに初めて与えられたこの約束を別なことばで言い表す旧約聖書の聖句には300以上がある。一つの例として、詩編67:2〜3にこう書いてある:「神がわたしたちを憐れみ、祝福し御顔の輝きをわたしたちに向けてくださいますようにあなたの道をこの地が知り御救いをすべての民が知るために。」

しかし、イスラエルの民(ユダヤ人)はなぜ神に選ばれたかを何度も忘れてしまい、イエスが誕生した時代になったら、極めて閉鎖的な民族となっていた。だから、イエスはそれが間違っているとよく教えたのだ。例えば、エルサレムの神殿に何が行われていたかを見て、それに対して憤ったとき、両替人を追い出したり販売の台をひっくり返したりして、こう言いました。「こう書いてあるではないか。『わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった。」彼らは神の神殿は全ての民族が祝福を得るためで、「神の民」が全ての民族のために祈るはずだったことを忘れていた。

そして、甦ったイエスが天に上げられる直前、弟子たちに「宣教の大命令」を与えた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」言うまでもなく、地上にいるイエスのこの最後のことばはキリスト教が全世界に広まって行った最大の理由だ。

また、聖書の最後の書簡である黙示録に書いてある全歴史の頂点の時に、悪に対する神の究極の勝利を述べる中で、天国で行われているシーンを描写する。幻の中で、ヨハネは見ていることをこう述べる:「この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、大声でこう叫んだ。『救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。』」この「子羊」という象徴はキリストを意味する。ここで強調したいのは、「あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から」集まっていたということだ。このことから考えても、「地上のすべての氏族が祝福に入る」ということがアブラハムへの約束の目的であることを再確認できる。

では、歴史の中で、この約束は成就されたのだろうか。そして、そうであれば、どういうふうに成就されたのだろうか。聖書の中心的な教えはアブラハムの子孫となる「約束されたメシア」によってこの約束は成就されるということだ。その「メシア」はもちろんイエス・キリストだった。それでは、キリストの到来は「地上のすべての氏族が祝福に入る」という結果をどうもたらしたか考えてみよう。それには、もちろん、いろいろの面があり、霊的な永遠の意味だけではなく、この地上での物質的な意味でもある。霊的な意味では、個人の霊魂の救い(天国に行く)という面はもちろんあるが、もっと広い意味の非物質的な意味もあり、それを強調したい。聖書の世界観の土台となっているのは人間が「神にかたどって造られている」という思想で、これは人間の尊厳や人権に自然に繋がって行く。この世界観が生まれてこなかったとすれば、国連の「世界人権宣言」などの思想も現れなかったと推測できる。もし聖書の世界観が現れなかったならば、今日の世界は全く違った世界になったはずだ。様々な制度や概念が始まるに際してさえ聖書の世界観を必要としたことを思うと、この違いが明白だ。私たちが当然と思っている現代社会は、その始まりにおいて創世記、聖書に負う所が極めて多いのだ。

一回目の講義にふれたことだが、もう一度紹介する。最近出た本だが、この事実を論じる。「The Victory of Reason: How Christianity Led to Freedom, Capitalism and Western Success」(理性の勝利:キリスト教がどのように自由、資本主義と西洋の成功に導いたか)と題している本だが、ベイラ―大学の社会科学者、ロドニー・スターク氏によって書かれた本だ。彼は説得力のあるやり方で結論を導き出す。スターク氏は結論として、次のように述べる。「キリスト教が西洋文明を造り上げたのです。イエスを支持する人々が人目につかないユダヤ教の一派にとどまったならば、皆さんの殆どは字を読めるように教育されなかったし、読むことができる人であっても手に入るのは手書きの巻物しかないことになったでしょう。なぜかというと、理性、進歩そして道徳的平等に熱心に取り組んだ神学がなかったとすれば、今日の世界はおそらく1800年頃のヨーロッパ以外の社会のままだったと考えられます。占星術師や錬金術師は存在しても科学者は存在しない世界のことです。大学、銀行、工場、眼鏡、煙突、ピアノも存在しない独裁者による世界だったことでしょう。多くの新生児が5歳まで生きることがなく、多くの女性が出産によって死を迎える、全くの「暗黒時代」に生きていたと思われます。近代社会はキリスト教社会の中にだけ生じました。イスラムやアジア、また、まだ存在していなかった「世俗的」社会においてではありません。キリスト教社会以外で生じた近代化は西洋によって、しばしば開拓者、宣教師たちによって持ち込まれました。」

この事実を例証する例は以前にもふれたが、重要なことですので、もう一度説明する。それは現代技術や社会を支えている現代科学の誕生と聖書の世界観との密接な関係ということだ。現代の世俗的、唯物論的世界観から科学を行なっている科学者は、自分の研究は神や聖書の世界観と全く関係がないと考える人が多いが、実際はその起源に対して関係が非常に深いものだ。日々の科学に携わる中ではその関係が見えてこないが、この考え方の持つ問題は、聖書の世界観という前提条件なしには科学そのものは決して誕生し得なかったということだ。それはどういうことかというと、自然界は唯一の創造者によって設けられた合理性のある論理的法則によって支配されているという見解があって初めて、自然界を理解しうるものだという認識が生まれてきた。古代から存在していた他の全ての世界観では、自然現象は神々によって支配されている、あるいは目に見えない神々の領域で起こっている出来事の結果であると信じていた。だから、自然界を支配している法則の存在、また、人間がそれらを理解することができ、自然界における将来のできごとを予測するためにこれらの法則を利用できるという現代科学の起源は聖書による啓示以外の何によっても考えにくいのだ。聖書の世界観においては、神が空間と時間に介入し奇跡を起こされた時を除き、原因と結果は完全にこの世界の中にある。こういうわけで、それらを学び、理解することができる。けれどもその他の古代世界観においては、原因と結果は連結していない。私たちはこの世界で結果を見るが、原因はこの世界の外側、つまり目に見えない神々の領域にあると信じていたので、原因は私たちの理解を果てしなく超えるものになる。こういうわけで、現代科学の基礎的な概念は他の古代世界観と対極のものだったので、聖書の世界観がどこかに根付くことがなかったとすれば、それでも自然に出てくることは非常に考えにくいことだ。結論として、アブラハムに与えられた約束、つまり自分の子孫を通して、「地上のすべての氏族が祝福に入る」という約束はあらゆる面において、全世界の民族に大きな影響を与え、霊的な面、社会的な面、そして、物質的な面において大いに成就されつつあると言える。

ノアの箱船

これはもちろん、アブラハムより遥かに古いできごとだったが、創世記物語の中での大変面白い箇所だ。ノアの箱船に対して多くの人が持つイメージは、子供の絵本に描かれているように、丸い底の船の窓からキリンや象などの動物園の動物が頭を出しているというものだ。そして、全世界を覆う洪水によって陸地の動物が絶滅しないように、神が全世界からひとつがいずつをノアに導いて箱船に入らせたと聖書に書いてあると考えている。しかし、聖書の原文を注意深く読めば、このイメージが大きく間違っていることが分かる。まず、洪水がノアが住んでいたメソポタミア地方の全体に限定されていたことを裏付ける証拠が聖書の中にたくさんある。もとのヘブライ語のことばのニュアンスなどを考慮した上、聖書に書いてある記録は「ノアの世界」を滅ぼしたことを意味すると分かる。「水はますます勢いを加えて地上にみなぎり、およそ天の下にある高い山はすべて覆われた」(創世記7:19)という文書を読むと、地球全体を覆っていたという印象を受けるが、「天の下にある高い山」はノアの視界にあることを意味することで、傾斜が極めて低い、幅数百キロの広いメソポタミア平野の中心部から、どんなに晴れた日であっても山らしい山が一つも見えない。その上、ヘブライ語では、「山」と「岡」の区別がなく、数十メートルの岡でも「高い山」の範疇に入る。そして、集まってくる動物は人間の生活と深い関わりのある動物は7つがいずつ箱船に納められたと書いてあるので、その目的は絶滅から守るのではなく、洪水が終わった後に、生活を早く立て直すことを可能にするためだったとわかる。(関心のある方は次のページに参照) http://www.konkyo.org→日本語のページに進む→記事→聖書的/神学的課題→聖書から見たノアの大洪水

同じような大洪水の話は世界のあらゆる地域の伝説に残っている。例えば、一万年以上前に南アメリカに移住した民族の最も古い伝説に、大昔の自分たちの祖先が当時の世界を滅ぼした洪水から逃れたという昔話がある。それぞれの伝説の詳細は異なるが、多くの場合、神々の怒りを被った人間が洪水という罰を受け、少人数だけが救われたという共通点がある。どういうふうに逃れたかは様々だ。例えば、巨大なヒョウタンをくりぬいて、その中で、洪水から逃れたという伝説がある。歴史的な交流のない様々な地域の民族に共通するこの昔話があることは人類の初期に、このような危機があったことを証明する。

出エジプト

「十戒」というハリウッド映画を見たことのある人が多いと思うが、エジプトから逃げようとしていたイスラエル民族が紅海に進路が阻まれた時、神が奇跡を起こして、海の水を分けたため、両側に何十メートルの水の壁ができたシーンが印象に残る。しかし、このイメージは子供の絵本に描かれているノアの箱舟と同じように、聖書に実際に書いてあることとかなりかけ離れている。まず、背景を考えよう。アブラハムの孫ヤコブに12人の息子がいて、イスラエル民族の12の種族の祖先となった。その中の一人、ヨセプがお兄さんたちの怒りと嫉妬を呼び起こしたために、兄弟に奴隷として、エジプトに行く商人のキャラバンに売った。そこで、いろいろの不思議な体験をし、エジプトの王(ファラオ)の側近となり、ファラオの次に権力を持つ総理大臣まで上昇した。そして、大飢饉が起こり、ヤコブの息子たちが食べ物を求めて来たとき、ヨセフが彼らをエジプトに住むように招いた。とても感動する物語の中で、ヨセフの兄弟たちが恐れのあまりで、自分の前にひれ伏したとき、こう言った「『あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。どうか恐れないでください。このわたしが、あなたたちとあなたたちの子供を養いましょう。』ヨセフはこのように、兄たちを慰め、優しく語りかけた。」(創世記50:20-21)こうして、イスラエル民族が400年ほど、エジプトに留まることになり、やがて、「ヨセフを知らないファラオ」のもとに、苦しい奴隷生活をさせられるようになった。

これで、モーセが登場し、神がイスラエル民族をエジプトから導き出す道具として、この人を用いることになった。この出エジプトの経験を通して、神がアブラハムに約束した通り、全世界の民を祝福するために、イスラエルという「選ばれた民族」を作り上げ、彼らに「約束された地」を与えた。3000年以上後に、この「出エジプト」のできごとは何よりもユダヤ人の民族意識の土台となっている。神と出会うシナイ山で、モーセを通して、イスラエルに「十戒」を含む「律法」が与えられ、それが現代においても、多くの国の法律に多大な影響を及ぼしている。

今日の講義で、出エジプトを詳しく取り上げる時間がないが、その要点と疑問点を簡単に紹介したい。まず、この話が実際に起きた歴史だと裏付ける証拠があるのだろうか。イスラエル民族がカナンの地を征服して、建国した後のできごとを裏付ける多くの考古学的証拠はあるが、出エジプトのできごとそのものを裏付ける考古学的証拠がほとんどない。その時代のエジプトの遺跡にこの民族がいたかやエジプトの軍隊が海に飲まれたということなどを決定づける証拠が見当たらない。しかし、古代のどの遺跡には、その国の敗北を述べる記念碑やその他の文書がないばかりか、その反対に誇張することが多い。従って、記録がないことはそのできごとがなかった証拠にはならない。その上、3000年以上前に数十年の間に歩き回って生活をした民族が発見可能の遺跡を残す可能性は低いはずだ。

大半の学者は出エジプトを聖書に述べられている通りにあった実際の歴史ではないと考えている。それで、単なる作り話だったという意味ではないが、後世に伝わって行くうちに誇張された伝説だと考える人が多い。そういう面が確かにあると私も思う。自分にとって、一番の問題点は人数のことだ。さきほど紹介した自分のウェブサイトにこの点を含む問題点の解決案を説明する記事があるので、興味のある方、どうぞ見てください。http://www.konkyo.org→日本語のページに進む→記事→聖書的/神学的課題→出エジプトの謎を解く:聖書の出エジプト物語の問題点を解決する科学的歴史的分析

今日、その中の2点だけを紹介したい。まず、人数の問題。文字通りの数字を実際のイスラエルの人口として理解するならば,あまりにも大きくてありえないことと思えるばかりでなく、本文の他の記述とも矛盾してしまう。民数記1:46に記述されている603,550人の20歳以上の男性に女性や子供と老人を加えると,全人口は200万〜300万人であったはずだ。しかし、出エジプト記23:29-30によると、イスラエル人の数が少なすぎたため、神は「約束された地」から敵を「徐々に追い出す」ことにされた。また、申命記7:1によると、イスラエルの民「にまさる数と力を持つ七つの民」を「約束された地」から追い出された。そして、申命記7:7には、イスラエルは「他のどの民よりも貧弱(少人数)であった」と書いてある。ですから、民数記の人数を文字通りに受け止めれば、イスラエルが征服した地域の全人口は少なくとも2000万人であったはずだ。それは現在の人口よりかなり多い。そして、紀元前1000年には地球全体の人口はおよそ5000万人しかいなかったと推定されているので、イスラエルだけの人口がそんなに多くいたはずがない。

その上、聖書本文に記述されている出来事が実現可能であったということは、文字通りの数字よりはるかに少ない人数であったことを示唆する。例えば,紅海の横断は夜で、暴風の中にもかかわらず数時間で終わった。渇いた地の幅は、短い時間内に渡った人間と動物の数の決め手となる。しかし、海が風によって何キロもの幅に分けられたと推測しない限り、短い時間内にそんなに多くの人間と動物が渡ることは不可能だ。また、砂漠地帯の限られた資源を考えると、神が毎日のように超越的奇跡を起こされたと想定しない限り,200万人以上の人数を長い間養うことは極めて考えにくいことだ。しかし、神が自然現象を超自然的に導かれたことは、聖書本文が示唆しているのだが、200万人を超える人数が荒野で何十年も生活をするにはまったく十分ではなかったはずだ。 私のウェブサイトに掲載した記事の中でコリン・ハムフリズというイギリスの科学者が提出した、この難問を解決する面白い仮説を紹介する。ハムフリズ氏の提案は、ヘブライ語で書かれている数字の意味の解釈に関わることで、その要点は、「千」と翻訳された「エレフ」という単語には、前後関係によって「グループ」や「分団」という意味にもなるということだ。例えば、民数記1:21から始まる各部族の人口調査の目録において、ルベン族に「兵役に就くことのできる二十才以上のすべての男子」は「四十六エレフ(と)五百」と書いてあります。これは20才以上の男性の人数でした。私たちが一般的に使っているアラビア数字はまだ発明されていなかったので、このような面倒な形で書いていた。これを46の分団の合計が500人であったと解釈して、他の11の部族も同じように計算すれば、合計5550人となる。そうすれば、全人口は2万人程度となる。この程度の人数ははるかに「妥当」に思えるのだが、この提案では、解決しなければならない他の問題が出てくる。それぞれの数字は明らかに百の位の概数だ。ガド族だけが例外で、45「エレフ」と650人だが、それでも、中間の50という概数になっているようだ。

ハムフリズ氏は自説を支持する他の聖書本文の証拠をいくつか紹介するが、この説を理解するために、編集のプロセスに何が起こったかを考えさせる提案をした。聖書によると、出エジプトの40年間の内に、二つの人口調査があって、最初の人口調査に関しては、各部族の「エレフ」の合計は598となり、その数字の次に来る人数の合計は5550人となる。しかし,民数記1:46ではその合計が600「エレフ」と3550人となっている。従って,ハムフリズ氏の説が有効であるためには、聖書の原文がある種の編集過程において、人数に割り当てられていた2「エレフ」(千)がその前にある分団(エレフ)に移されたと考える必要がある。同じように,民数記26章に記録されている第二の人口調査では、596「エレフ」と5730人となるが、四つの「千」を意味する「エレフ」が「分団」を意味する「エレフ」の方に移されたことになる。そうすれば、現在のヘブライ語の聖書に書いてある「六百エレフと一エレフ(千)七百三十」人となる。

可能性として考えられることは、モーセが記録した最初の人口調査の結果を記録する時に、「五百と九十と八エレフと五エレフと五百と五十」という書き方をしたのかも知れない。この場合、最初のエレフは「分団」で、次のエレフは「千」を意味したかも知れない。現代に伝わる聖書本文に少なくともある程度の編集がなされていることは明白だ。私たちの手元にあるモーセ五書はモーセから何百年か後に最終的な形となったのだから、編集の段階で扱いにくいそのような数字が「六百エレフと三エレフと五百と五十」(現在の文字通りのヘブライ語)とされたことはありうることだ。モーセの時代の人たちは二つの意味を持つ全く同じ単語である「エレフ」の区別が分かっていたのに、異なる記数法を持つ何百年か後の筆記者がその区別がよく解らないで、このような間違いをした可能性がある。

この説が数字における問題の正しい解決であるかどうかは別にして、オリジナルの記録とそれが旧約聖書に導入されて記載された明細との間に、翻訳上の何らかの問題が生じた可能性が高いと思われる。弱点がないわけではないが、ハムフリズ氏の提案は少なくとももっともらしい説明で、エジプトから出たイスラエル人の数が2万人であることは、記録された旅の詳細と考古学的発掘調査によって明らかにされた当時の人口と合致する。

紅海の横断

出エジプト記によると、「十戒」の映画のように、突然に水が分かれて両側に壁のようになったのではなく、一晩中ふいていた強風によって、押し出されたのだ。「モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。」(出エジプト記14:21-22)だから、自然現象なのだ。そのタイミングは奇跡的だったが、これが自然法則を破る超越的奇跡ではないと記述されている。

「奇跡」ということは、実際に二種類がある。それらは「超越的奇跡」と「変形的奇跡」と呼ばれている。「超越的奇跡」は自然法則の制限を超えるもので、その例として、宇宙を全くの無から創造したことは明らかな例で、死人を甦らせることやイエスが水の上を歩いたといった奇跡もそうだ。そのような奇跡はあり得ないことだと思ってしまいがちだが、この宇宙とそれを司る自然法則を創造した神なら、自分が作ったルールを一時的に保留して、自然法則を乗り越える何かをすることはできるはずだ。しかし、聖書に出てくる奇跡物語の多くは自然法則を破ることなく、ただそのタイミングと規模が偶然なできごととして片付けられないことだ。イスラエル民族が逃れ道を必要とした時の、このできごとを含む出エジプトに見られる殆どの奇跡がその通りだ。

実は、先月に大変面白いコンピューターシミュレーションが発表された。http://www.thedenverchannel.com/news/25101507/detail.html これによると、「紅海」(元のヘブライ語では、「葦の海」)を渡った場所がナイル川のデルタにあったのであれば、聖書に書いた通りの自然現象が十分説明できる。27メートルの強い東風が数時間吹くと、深さ2メートルほどの水が両側に押し上げられ、4kmほどの幅の海峡が幅5kmほどの広さで乾いた地になる。そして、風が治まると、津波のように元の水位に戻る。もし、イスラエル民族がその場所に海を渡ったとすれば、奇跡に見えるそのできごとが書いてある通りに起こり得ることだった。そして、追いかけていたファラオの軍隊が急に戻ってくる水に流され、溺れ死んだことも説明できる。もちろん、そこだったという証拠が何もないが、そして、そのルートを通ったとすれば、他の記述と合致しにくい面が多少出て来る。しかし、問題は、3500年前の地名が実際にどこにあったか解らないところが多いのだ。従って、そのルートがかなり不明だ。

出エジプトのできごとを説明できる他のシナリオがあり、それぞれの仮説は何かの点で、聖書の記録と合致させることに多少無理があるところがある。聖書に書いてある通りに出エジプトが実際の歴史だったと私は思うが、現代に生きている私たちが直面している問題は、聖書時代の地名や記述された地形を特定できるほどの考古学的な証拠が不十分であることだ。だから、海を横断した場所やどの山が実際のシナイ山であるかを特定する作業が妨げられている。いくつものドキュメンタリーや本に提出された興味深い証拠があるが、それらを立証する(また反論する)考古学研究を待つしかない。しかし、中近東の緊迫した政治的状況がある限りは、これらの史実性やその場所の特定を確証するような進歩があるとしても、それが敵によって政治的に利用されることがほぼ確実なことだから、近い将来にそれぞれの仮説を検証する十分な考古学的調査が実現できることには、あまり楽観視できないと思う。

王国時代

イスラエル民族が「約束された地」を制圧し、国を作ってから、数百年に渡り、何十人の王に統治された。その中で、一番有名なのはダビデ王だった。彼は紀元前1000年ごろ生きていた人物で、ダビデと彼の息子ソロモン王の時代はイスラエルの一番栄えた時代だった。旧約聖書物語の中で、ダビデ王の子孫の一人は約束されたメシア(キリスト)となるという預言が与えられ、イスラエル民族がその後の苦しい時代になった時、その約束をずっと待ち望んでいた。

この時代のイスラエルの歴史を概略すると、ソロモン王の後、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂し、北の方は紀元前722年にアッシリアに征服され、国を失った。散らばっていたが、歴史からすぐ消えたのではなく、謎の多い「失われた10部族」となった。シルクロードの商人となった人が多くいて、子孫がアジアの多くのところにいると考えられている。

南のユダ王国はしばらく続いたが、これも紀元前607年にバビロニアに征服され、そして、紀元前586年エルサレムにあった神殿が破壊された。聖書によると、これらの惨事はイスラエル民族が本当の神を忘れ、周りの民族の神々を取り入れたための刑罰だった。バビロニアでの捕虜としての生活が539年まで続き、バビロニアを征服したペルシアがユダヤ人を国に帰らせた。彼らがエルサレムを再建し、神殿が破壊された70年後、新しい神殿が完成された。独立国家としてしばらく存在したが、紀元前322年アレクサンドロス大王の軍隊に征服され、その後に独立国家としての存在を取り戻すことなく、ローマ帝国の一部となった。この状態はイエスが登場するまで続いた。そして、イエスのすぐ後に、紀元後70年に完全に滅亡した。(しかし、ユダヤ人が歴史から消えたのではなく、1948年に現代のイスラエルの建国まで、自分の国に帰ることをずっと待ち望んでいた。)

Updated: 2012 年 02 月 17 日,04:05 午前

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