世界観」とは何か?


すべての人が何らかの「世界観」を持っている。教育やお金があるかないか関係なく、また、特定の宗教を信じているかどうかを問わずに、すべての人が無意識のうちに何らかの「世界観」に導かれているので、日常生活の中で、それに沿う行動をするのだ。これほど重要なことだので、「世界観」は何であるかをきちんと理解する必要がある。自分の「世界観」を言い表せることができるだろうか。そう言われたら、ほとんどの人はできないと思う。なぜなら、あまり考えたことがないので、無意識のうちに自分のはっきりしていない、また、多くの場合、内面的に矛盾している「世界観」に沿って、生きているのだから。今日は、このキリスト教学の授業を始めるに当たって、「世界観」は何であるかをきちんと理解した上、聖書の教え、イエスの運動、そしてそこから始まったキリスト教が世界の歴史の流れを著しく変えたことなどを学んでいく。そして、これらは現代日本に生きている私たちにとっては、どういう意味であるかを考えていきたい。

では、「世界観」の定義を考えてみよう。簡単に言えば、「世界観」は人生や世の中をどう見ているか、どう理解しているかということだ。ある意味で、「眼鏡」のような働きをする。自分の人生の中で、また日本の社会、そして世界全体に起きる出来事をどう整理して理解するかは比喩的に言えば、自分の「視力」にかかっている。自分にかけられている「解釈の眼鏡」は受け取る情報や経験を整理して理解するのを助ける。その「レンズ」は明瞭さをもたらす場合があれば、その逆に現実を歪めてしまうこともよくあることだ。

英語では、「世界観」は"worldview"=「世界の見方」ということばで、日本語とよく似ていることばだ。この"worldview"という概念はその人が人生に関する一番中心的な信念を意味する。つまり、神がいるかいないか、そして、存在しているとしたら、どういう神であるか。また、自然界、知識、価値観、人間観や歴史に対する基本的な考え方も含まれている。これらの信念は人生や世の中の全体像を構成することになり、それが現実と合致している場合もあれば、外れていることもあり、また、そのコンビネーションであることは一般的だ。実は、どんなに正義で立派な人間であっても、考え方にはどこかで間違っている点が必ずある。なぜなら、不完全なもので、知識や情報が部分的だから。

世界観がどのように働くかと言うと、自分の基本的な、また究極的な信念を整理する心的枠組みとなる。その人にとっては何が現実であるか、何が真理で合理的なことであるか、また、何が価値のあるよいものであるかの全体的な決め手となるのは、この枠組みが与える見方なのだ。別なことばで言い表せると、世界観は人生を歩みながら自分に伝わってくるあらゆる「データ」を解釈するために利用される概念的枠組みだ。しかし、ちゃんとした世界観はばらばらになっている様々な知的信念の集まりという感じのものではなく、一貫性のある相互的に結び合わされているシステムなのだ。

この世界観のシステムによって、「人生の大質問」に対する答えが求められている。その中心には、「人間観」に関わる問題がある。「なぜ人間はこのようになっているのか」、また「人間の行動をどう説明できるか」など。このような哲学的な問いかけは人間がどのように生きがいや目的を見出せるかを探っていく。自分の世界観を通して、自分にとって何が重要であるかを決めていき、人間関係や(いるとすれば)神との関係を説明し、身の回りに起きる出来事の意味を評価して、自分の行動を正当化する。このようにして、自分の世界観は人生の全体的な土台と環境を与える。

人生の「地図」

世界観は「解釈の眼鏡」だけではなく、自分の人生を形作っていき、自分が歩む道を指導する。人間は自分の信念に沿って行動するので、自分の決断や行動を左右する価値観の発展も世界観によって形作られていく。安定感のある、現実的な価値観に基づいている人生を送るために、基本的な問いかけについて考えていく必要がある。これらの問いかけに対して世界観は答えようとしたら、その世界観は自分の人生という「旅」を案内してくれる「地図」のような働きをする。従って、世界観は「人生の地図」として例えてもいい。その「地図」は人生の歩む道に岐路に立たされて決断をしなければならない時、「道案内」をしてくれるものだ。こういうわけで、世界観は「人生の大質問」と呼ばれている12の問いかけに答えを出す必要がある。これらの答えは人生に目的や明瞭さを与えるだけでなく、その世界観全体の「システム」を吟味して、合理的な一貫性があるかどうか、また、現実の世界と合致しているかどうか、更にそれを説明できるかどうか、そして、それに従って実際に生きていけるかどうかを確認することもできる。

図1

実行可能な世界観は以下の問いかけに十分な答えを与える必要がある。

1. 究極的実在:神が実際に存在するのか。又、存在するとしたら、どのような神であるか。

2. 超越的実在:物質的な世界を超える何かがあるのか。

3. 知識:実際に知ることのできるのは何か。また、それをどういうふうに把握できるのか。

4. 起源:自分はどこから来たのか。(宇宙の起源、生命の起源、人類の起源)

5. アイデンティティー:自分は誰であるか。

6. 位置:社会の中で、自分がどう位置づけられるか。

7. 道徳:人生をどう送るべきか。

8. 価値観:自分にとって、価値のあるものをどう決めるべきか。

9. 苦境:人間の根本的な問題は何か。

10.解決:人間の問題をどう解決できるか。

11.過去/現在:歴史の意味と方向性は何か。

12.運命:肉体の死後、自分の存在が続くのか。死を乗り越える実存があるとすれば、どのような形になるのか。 ____________________________________

関連する課題:心や意識のような非物質的なことを説明できる世界観

有神論的世界観vs無神論的世界観(唯物論)

有神論的世界観:人間の心(mind)が神の心から由来する(無限から有限へ);原因が結果を遥かに超える。(因果関係という科学的原理と合致する)

無神論的世界観:人間の心(mind)が合理性や意識のない物質的なことからのみ由来する(唯物論的進化論);結果が原因を遥かに超える。(因果関係という科学的原理と合致しない)

数学、論理や倫理のような非物質的な事柄の起源はどちらの世界観が説明できるか。

(“mind from mind” vs. “mind from non-mind”:「知性が知性から」に対して、「知性が非知性的存在から」)

Updated: 2012 年 02 月 17 日,03:56 午前

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